January 09, 2005

七草粥雑感

都市部の方では、「田舎は補助金漬けで都会よりいい暮らしをしすぎだ」とか、「農家はサラリーマンの家庭より収入がある。国が保護しているからだ。もっとやつらに厳しくしろ」などというおっしゃる方がいます。

これはいかがなものでしょう。
田舎の方がいい暮らしが出来るのならば、都市部に人口が集中することはないでしょう。田舎が過疎や深刻な高齢化に悩むことはないでしょう。
また、農業が生活の糧になるのならば、後継者不足や就業者の高齢化の問題、増大する遊休農地などの問題は起こっていないでしょう。

そもそも、補助金は使途が制限されており、地方の自由には使えません。以前の地方では、必要かどうかはともかく、補助金がつくからこの事業をする。補助金がつかないからこの事業はしない。といったことが行われました。補助金の見直しは、国の借金のツケを中央に痛みの来ない地方に押し付けるべき、という観点ではなく、「地方の自立を」という観点で進めるべきです。

国の三位一体改革の中で、地方が自由に使える地方交付税交付金が、削減されてきています。地方はこれに反対していますが、中央の報道機関の報道を通してみる地方の姿は、まるで既得権益者が利権を守ろうとしているかのように見えます。

中央に腐った官僚がいれば、地方にも腐った役人もいます。だが、これは物事のすべてではありません。国の財源が狭められる中、地方の最も末端にある町や村などの地方自治体。合併問題や国から与えられる財源の削減は、町村とその住民に「自治とは何か、自治とはどうあるべきか」を考える機会を与えました。

財源に乏しい山村の村では、首長、助役、収入役の3役がそろっているところなど、ほとんどありません。国家公務員の組織改革が全く行われない中、地方では、議員定数の削減、役職の削減、特別職給与の削減が当たり前のように行われました。彼らが目指すのは、イギリスのサッチャー首相が目指したように「小さな政府」。彼らの言葉を借りれば「着膨れ水ぶくれで膨らんだ行政組織から脱し、筋肉質な自治体」になることです。

行財政改革を独自に進める一方、都市部・沿岸部と比べ、人口も産業もない山村でも、こうした時代においては新たな自主財源が必要となります。山村にあるものは、なんだろう。山、川、空気、動植物。それらは、高度経済成長期には、価値のないものとされてきました。山村では、これらを資源に、食・住などをつうじた生活体験型の観光資源として研究を進めています。エコツーリズムというやつですね。また、最近では、近隣アジア諸国からの観光客を誘客しようというインバウンドという動きもあるそうです。

前置きが長くなりましたが、この間、大正月を締めくくる日本の伝統行事「ほんやり」とともに存在する「七草粥」を体験する機会がありました。七草は、大根とカブ以外はすべて野草です。この日は、朝肌寒いなか、屋外に出て、水辺や土手などで七草を探しました。

野草というものは、野菜より消化は悪いものの栄養価が高く、薬効も豊富にあります。スローフードというやつですね。もちろん七草に含まれる野草も、高血圧抑制や消化不良の改善など様々な薬効があり、七草イベントそのものも「一年の無病息災を願う」ものなのです。

七草の歴史は古く、百人一首の「君がため春の野にいでて若菜つむわが衣手に雪はふりつつ」という光孝 天皇(830-887年)という歌も、春の野草を摘む七草の「若菜摘」を詠んだものです。最近はというと、時期になるとスーパーなどで七草セットが販売されるため、七草粥を作る家庭も増えていると聞きます。

さて、摘んできた七草を持ち帰り、スーパーで売っていた七草と比べてみました。商品用として販売される七草は、露地栽培やハウス栽培でつくられているため、形もよく小柄で、色も鮮やかです。自生している七草はというと、臭いが強く、葉が広がり、しっかりと根を張り、色も濃いです。

そこで、野生動物や自然を研究している老人は子供たちに「何でもかんでも面倒をみられている草より、雪や寒さにあたった草の方が強いのがわかるだろ。みんなも家の中にいるより寒くたって外に出て遊んだ方が強くなれるんだ」と話していました。

私はここで、ニート問題などを通じて漠然と感じる将来世代への不安の原因がわかりました。

就職する気のない人間をいかに社会コストにせず、就業させるかという取り組みは、担当者に任せておくとしておきましょう。

科学の進歩とともに、我々の生活はずいぶんと向上しました。冷暖房が完備され、夏の暑さも冬の寒さも室内では防ぐことが出来ます。我々の住む日本では、毎日の食べ物に困ることもなく、寝る場所に困ることもなく生きています。

成長の過程にあるもので、考えてみましょう。寒さを経験すれば、寒さに耐えること、寒さを防ぐことを学ぶでしょう。食料がないことを経験すれば、いかにして空腹を持たせるか、いかにして空腹に耐えるか学ぶでしょう。しかし、寒さも空腹も経験せずに成長が終わってしまえば、寒さに耐性がなく、寒いことを嫌うようになり、寒さを体験しなければならない場面ではしり込みすることになるでしょう。

我々の生活水準は高いと考えてよいでしょう。しかし、今の様子では、わが国は、世界の先進地としての地位を維持することは容易ではなさそうです。もし、これまでにない寒さにあたるような事態になったら、そのとき、時代を担っている人々は、寒さに耐え忍び歯を食いしばって、生きていくことができるのでしょうか。

0 Comments:

Post a Comment

<< Home